その時々の 私たちの

日々の記録 / 時が枯れるまで

20240107

朝起きて、昨日の余韻がまだかなり残っていて、不思議な気持ちだった。これまでの人生で世界の見え方が変わった朝は何回かあったけれど、今朝もそういう朝だった。

昨日のことを振り返って、少し恥ずかしいけれど、三人に対して思っていることを書き記しておきたくなった。

 

ジョシュ君、何を話しても受け入れてくれて、何を言っても笑ってくれて、安心して胸の内を話すことが出来る存在。クールな見た目と裏腹に温かくて、心の中に不純なものがないように感じる。この人は天性の愛されキャラなんだろうなと思う。ジョシュ君に話を聞いてもらって楽になる人は多いと思う。ジョシュ君の振り返りと自分の振り返りのシンクロ率が高く、ジョシュ君の興味関心に引っ張ってもらった一年だと実感した。

 

武さん、もう何年話を聞いてもらってるんだろう。長い付き合いになるけれど、武さんからは気付きを貰ってばかりで、少しでも自分が武さんに何かを与えることが出来ているのだろうかと考えてしまう。いつか呆れさせてしまうのではないかと不安に思ったりするけれど、話す間、じっと待ってくれている、その沈黙に、途方もない優しさを感じる。それは中々出来ることでは無くて、そういうところに武さんの誠実さや聡明さを感じる。話すとき、武さんの知の地層に触れられることを嬉しく思う。

 

土屋君。帰り道、土屋君と幼少期の話をしていたら、魂が子供の頃に戻ったような感覚に陥った。そして、隣に座っている土屋君のことも、子供の頃の友だちのように感じた。(ありのままの自分達がそこに座っているような)バンドをしていた頃は、土屋君に過剰に畏敬の念を抱いていたから、自分に似ていると思ったことはあまりなかったけれど、土屋君の話を聞いていると共感MAXで、共通する部分も多いのかもしれない。土屋君が言語化してくれたおかげで気付けた、大切なことが多過ぎる。

 

今日、Twitterでたまたま流れてきた言葉がすごくよく理解出来るように思えた。

 

真に影響と呼び得るものは、それを受けた人を誰かのようにすることではなく、その人自身の基点に立ち戻らせるはたらきを持つ。 人は、誰かのようになることを託されて生れてきたのではない。その人になるために生きているのだ。 その人自身の道を歩き始めたとき人は、静かに自分を愛せるようにもなる。

 

一年後の振り返りではどんなことを話せるだろうか。すごく楽しみだ。

 

 

20230614

私の大好きな優しいお父さんが星になった。

 

三月に会った時に、郵便受けに新聞を取りに行くだけで息切れをするんだと聞いてから、嫌な予感はしていた。心の準備はしておこうと思っていた。それでもあと三年、五年、十年は一緒にいられるだろうと思っていた。

 

お父さん。私は幼い頃からお父さんっ子だった。お母さんがしつけや教育担当なら、お父さんは遊び担当だった。お父さんは娘である私たち姉妹に本当に楽しい幼少期をプレゼントしてくれた。こどもの頃、お姉ちゃんと私は、庭からお父さんの車のエンジン音が聞こえると、玄関でお父さんを待ち構え、ドアが開いた瞬間、声を揃えて「お・と・う・さ・ん・お・か・え・り・な・さ・い・♡」と出迎えるのが日課だった。大好きなお父さんで、思春期も反抗期はなかった。社会人になり、孫が産まれてからは、孫と会うのをとても喜んでくれた。「今が一番良い時期や」「生まれてきてくれてありがとう」「佳澄の小さい頃の写真を見てると可愛くて泣けてくるわ」などと、少し恥ずかしい言葉も目を見て真っ直ぐ言ってくれた。寡黙なだったけれど心優しい人だった。人の喜ぶ顔が好きだった。

 

身体が弱く、いつ何があってもおかしくないと思っていたから、ここ数ヶ月は無意識に死に関する書籍やニュースを読み漁っていた。そこでひとつ腑に落ちたことがあった。ちょっと長いけど感銘を受けたインタビューを引用させてもらいたい。(合唱曲『COSMOS』を作詞・作曲したミマスさんのインタビュー記事)

 

"合唱曲《COSMOS》については、歌ってくださる方々からいろいろな質問を受けます。歌い方のことや歌詞の解釈、さまざまです。ここでは、作者として歌に込めた想いについて語ってみることにしましょう。天文少年だった子どものころ、僕は夢中で星の本を読みました。プラネタリウムに毎週通って、星座も覚えました。そんなふうに天文学のことを勉強するなかで、ひじょうに深く、感動したことがあるのです。ひとつは、「星にも寿命がある」ということ。夜空に見える無数の星たち。そのほぼ全てが、太陽と同じように自ら輝いていて光を放つ「恒星」です。 宇宙には、太陽よりずっと巨大な星もたくさんあります。それでもあんな小さな点にしか見えないのは、それだけ遠くにあるからなのですね。光の速さで何十年、何百年、何千年とかかるほど遠くにあるのです。 そんな星たちも、永遠に輝くのではありません。カンタンに言うと「燃料が尽きる」時がやってきます。星の寿命は短くても数百万年、長いものは数十億年から百億年以上にもなるそうです。 人間よりもだいぶ長寿ですね。でも、星にも誕生と死があるのです。この宇宙の中に生まれ、限られた時間を生き、いつか消えてゆく。その定めにあるのは人も星も一緒。それを知ったとき僕は、人間も星も同じだ!と思ったのです。

もうひとつは、僕たちの体が何でできているのかということ。人間の体は、さまざまな元素でできています。骨はカルシウムでできていますし、血の中には鉄がありますね。こうした、僕や君の体を作っている元素はどこから来たのでしょうか。答えはなんと、「星の中」なのだそうです。すさまじい高温高圧である恒星の内部では、水素やヘリウムといったシンプルな元素を材料にして、核融合反応によってさまざまな複雑な元素が作られてゆきます。そしていつか、星は最期を迎えます。一生の終わりに星は、ガスを宇宙空間に放出したり、自分自身を粉々に吹き飛ばす「超新星爆発」を起こしたりします。長い時間をかけて作ってきた物質を、宇宙にばらまくのですね。それを材料にしてまた新しい星が作られる……。宇宙はその輪廻のくりかえし。地球もそうしてできました。当然、地球に生まれた僕たちの体も、それらを材料にしてできています。僕たちの体を作っている元素は、遠い昔、星だったのです。"

 

お葬式の日、親戚のおばちゃんが、「死んだらどうなると思う?」と尋ねてきた。おばちゃんは最近浄土真宗のお寺のイベント?で、ド派手なプロジェクトマッピングを使った極楽浄土体験をしてきたらしい。なにそれめっちゃ面白いやんと思いながら、私は「星になると思う」と答えた。

 

葉君が、死んだじいじがいる部屋で、宙を見上げてずっと手を振っていた。まだほとんど喋れないのに「じーじ、バイバイ」と何度も言っていて驚いた。火葬場でも宙を見上げて「じーじ、バイバイ」と言い出したのでびっくりした。まだ宇宙から来たばかりの葉君には死んだじいじが見えていたのかもしれない。葉君がニコニコして手を振っていたから、じいじもきっと笑っていたに違いない。死んだら急に無になるんじゃなくて、自分の大好きな場所、大好きな人に会いに行く時間くらいは神様はくれるんじゃないかと思った。

 

正直、今はお父さんがいなくなったという実感がない。突然死には驚いたけど、苦しむ姿を見ていないことが大きい。ひょっこり家に帰ってくる気がしてならない。

 

訃報を受けて電車に飛び乗り、震える手でスマホにメモした言葉。

 

"誰かが私にしてくれたこと

与えてくれたものというのは


一緒にいないときも

降り注がれる


眼差しのようなもの

かもしれない"


読み返しても意味が分からないけれど、この言葉の通りならば、お父さんが死んでもお父さんが私にしてくれていることは変わらない。

 

私は今死ぬのが怖くない。

後悔がないように生きることは可能だとお父さんが教えてくれたから。

 

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20230526

昔から人としゃべるのが下手だった。覚えているのは小学生の頃。休み時間に友達と二人きりになったとき、頭が真っ白になって何も話せなかった。他にも課外授業で外に行ったとき、周りのクラスメイトはひっきりなしにおしゃべりをしているのに、私は何も話せなかった。ついでに言うと、大学生になるまで男性と話したことが一回もなかった。

考えたことがある。人としゃべれないのは、頭の中に何も考えがないからなのか、それとも頭の中身を言葉で表現するのが苦手だからなのか。結論、どちらもあると思う。

目や耳で得られる刺激に敏感で、常に脳内は雑音で満たされている。その結果、自分の心の声が全く聞こえない。自分が今暑いのか寒いのか、嬉しいのか悲しいのか、そんか簡単なことさえも感じられず日々を過ごしている。

何かひとつ物事を伝えるとき、真実を伝えたいと強く思う。だから一言では済ませられない。あれこれ付け加えてはぐちゃぐちゃになる。自分の感覚(思考ではない)が人に伝わらないのは悲しい。

そんな私も社会人になり十年以上経つ。トレーニングによってある程度口下手を矯正出来た。それでも悲しみは募る。だから日記を書きたいと思った。

20230525

ブログに悪いこと(=嫌なこと・悲しいこと)を書かなくなった。それは、悪いことを書くことで「許されたい」と甘えている自分への戒めなんだろうか。大人はみんなそういう風に自分を戒めているんだろうか。

「本当はもうクソったれなほど長い間傷ついてきたのに、幸せな振りをしている。この社会で生きていくために。なぜだろう?誰も私の悲劇に耳を貸さないからだ。誰もが悲劇だから。それなら、他人などクソくらえ。アーメン」

こういうことかなと思ったけど私の言いたいこととは少し違うみたい。

家族で夜の散歩。街灯の光が田んぼに反射して本当に美しい。夜の散歩が大好きで、夜の散歩について書かれたものもとても好きだ。家にいるときは、健康のこと、仕事のこと、子育てのことなどで占領される脳内メモリーを動画視聴で更に圧迫している。動画視聴というよりも、何を観るか悩んでいる時間が長すぎる。もう止めよう。今日から一切の動画視聴を止めよう。音楽と読書。それだけで充分かもしれない、と急に思った。行動に制約があったほうが結果的に満足感が高い気がする。

特に何か問題が起こっている訳じゃないのに、自分は人よりも駄目な人間だという感覚がある。職場で仕事をしているとこの感覚が強くなるが、これは生まれつきのものだと思う。人より優れていたいのではなく、駄目な自分を認められないことが原因だと思う。昔は特定の憧れの人にだけ感じていた劣等感を、今は不特定多数の人に感じている。それで辛くなることがある。小山田壮平の日記に"この世にある希望も絶望も、その感覚は誰もが経験したものか、これから経験していくものだ。 それをはっきりと表現できるのはすごいことだけど、そのアーティストが人間として特別な存在だというわけではない。 アーティストに限らず、勘違いする人がたまにいる。 この生を全うするまでの間に、その人がなにをするのか。 誰が何者であろうと、僕が見ているのはそこなんだ。"と書いてあって感動した。私のなかでは繋がっている。

私のことを知らない誰かのために日記を書こうと思う。嫌なことも悲しいことも全て。私は人と話すのが苦手だから、そういう風に誰かと交信したい。

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