その時々の 私たちの

日々の記録 / 時が枯れるまで

20230525

ブログに悪いこと(=嫌なこと・悲しいこと)を書かなくなった。それは、悪いことを書くことで「許されたい」と甘えている自分への戒めなんだろうか。大人はみんなそういう風に自分を戒めているんだろうか。

「本当はもうクソったれなほど長い間傷ついてきたのに、幸せな振りをしている。この社会で生きていくために。なぜだろう?誰も私の悲劇に耳を貸さないからだ。誰もが悲劇だから。それなら、他人などクソくらえ。アーメン」

こういうことかなと思ったけど私の言いたいこととは少し違うみたい。

家族で夜の散歩。街灯の光が田んぼに反射して本当に美しい。夜の散歩が大好きで、夜の散歩について書かれたものもとても好きだ。家にいるときは、健康のこと、仕事のこと、子育てのことなどで占領される脳内メモリーを動画視聴で更に圧迫している。動画視聴というよりも、何を観るか悩んでいる時間が長すぎる。もう止めよう。今日から一切の動画視聴を止めよう。音楽と読書。それだけで充分かもしれない、と急に思った。行動に制約があったほうが結果的に満足感が高い気がする。

特に何か問題が起こっている訳じゃないのに、自分は人よりも駄目な人間だという感覚がある。職場で仕事をしているとこの感覚が強くなるが、これは生まれつきのものだと思う。人より優れていたいのではなく、駄目な自分を認められないことが原因だと思う。昔は特定の憧れの人にだけ感じていた劣等感を、今は不特定多数の人に感じている。それで辛くなることがある。小山田壮平の日記に"この世にある希望も絶望も、その感覚は誰もが経験したものか、これから経験していくものだ。 それをはっきりと表現できるのはすごいことだけど、そのアーティストが人間として特別な存在だというわけではない。 アーティストに限らず、勘違いする人がたまにいる。 この生を全うするまでの間に、その人がなにをするのか。 誰が何者であろうと、僕が見ているのはそこなんだ。"と書いてあって感動した。私のなかでは繋がっている。

私のことを知らない誰かのために日記を書こうと思う。嫌なことも悲しいことも全て。私は人と話すのが苦手だから、そういう風に誰かと交信したい。

家主のテーマ

家主のテーマ

  • 家主
  • インディ・ポップ
  • ¥204

カープファンの子

カープファンの子

  • 柴田聡子
  • シンガーソングライター
  • ¥255