その時々の 私たちの

日々の記録 / 時が枯れるまで

20230614

私の大好きな優しいお父さんが星になった。

 

三月に会った時に、郵便受けに新聞を取りに行くだけで息切れをするんだと聞いてから、嫌な予感はしていた。心の準備はしておこうと思っていた。それでもあと三年、五年、十年は一緒にいられるだろうと思っていた。

 

お父さん。私は幼い頃からお父さんっ子だった。お母さんがしつけや教育担当なら、お父さんは遊び担当だった。お父さんは娘である私たち姉妹に本当に楽しい幼少期をプレゼントしてくれた。こどもの頃、お姉ちゃんと私は、庭からお父さんの車のエンジン音が聞こえると、玄関でお父さんを待ち構え、ドアが開いた瞬間、声を揃えて「お・と・う・さ・ん・お・か・え・り・な・さ・い・♡」と出迎えるのが日課だった。大好きなお父さんで、思春期も反抗期はなかった。社会人になり、孫が産まれてからは、孫と会うのをとても喜んでくれた。「今が一番良い時期や」「生まれてきてくれてありがとう」「佳澄の小さい頃の写真を見てると可愛くて泣けてくるわ」などと、少し恥ずかしい言葉も目を見て真っ直ぐ言ってくれた。寡黙なだったけれど心優しい人だった。人の喜ぶ顔が好きだった。

 

身体が弱く、いつ何があってもおかしくないと思っていたから、ここ数ヶ月は無意識に死に関する書籍やニュースを読み漁っていた。そこでひとつ腑に落ちたことがあった。ちょっと長いけど感銘を受けたインタビューを引用させてもらいたい。(合唱曲『COSMOS』を作詞・作曲したミマスさんのインタビュー記事)

 

"合唱曲《COSMOS》については、歌ってくださる方々からいろいろな質問を受けます。歌い方のことや歌詞の解釈、さまざまです。ここでは、作者として歌に込めた想いについて語ってみることにしましょう。天文少年だった子どものころ、僕は夢中で星の本を読みました。プラネタリウムに毎週通って、星座も覚えました。そんなふうに天文学のことを勉強するなかで、ひじょうに深く、感動したことがあるのです。ひとつは、「星にも寿命がある」ということ。夜空に見える無数の星たち。そのほぼ全てが、太陽と同じように自ら輝いていて光を放つ「恒星」です。 宇宙には、太陽よりずっと巨大な星もたくさんあります。それでもあんな小さな点にしか見えないのは、それだけ遠くにあるからなのですね。光の速さで何十年、何百年、何千年とかかるほど遠くにあるのです。 そんな星たちも、永遠に輝くのではありません。カンタンに言うと「燃料が尽きる」時がやってきます。星の寿命は短くても数百万年、長いものは数十億年から百億年以上にもなるそうです。 人間よりもだいぶ長寿ですね。でも、星にも誕生と死があるのです。この宇宙の中に生まれ、限られた時間を生き、いつか消えてゆく。その定めにあるのは人も星も一緒。それを知ったとき僕は、人間も星も同じだ!と思ったのです。

もうひとつは、僕たちの体が何でできているのかということ。人間の体は、さまざまな元素でできています。骨はカルシウムでできていますし、血の中には鉄がありますね。こうした、僕や君の体を作っている元素はどこから来たのでしょうか。答えはなんと、「星の中」なのだそうです。すさまじい高温高圧である恒星の内部では、水素やヘリウムといったシンプルな元素を材料にして、核融合反応によってさまざまな複雑な元素が作られてゆきます。そしていつか、星は最期を迎えます。一生の終わりに星は、ガスを宇宙空間に放出したり、自分自身を粉々に吹き飛ばす「超新星爆発」を起こしたりします。長い時間をかけて作ってきた物質を、宇宙にばらまくのですね。それを材料にしてまた新しい星が作られる……。宇宙はその輪廻のくりかえし。地球もそうしてできました。当然、地球に生まれた僕たちの体も、それらを材料にしてできています。僕たちの体を作っている元素は、遠い昔、星だったのです。"

 

お葬式の日、親戚のおばちゃんが、「死んだらどうなると思う?」と尋ねてきた。おばちゃんは最近浄土真宗のお寺のイベント?で、ド派手なプロジェクトマッピングを使った極楽浄土体験をしてきたらしい。なにそれめっちゃ面白いやんと思いながら、私は「星になると思う」と答えた。

 

葉君が、死んだじいじがいる部屋で、宙を見上げてずっと手を振っていた。まだほとんど喋れないのに「じーじ、バイバイ」と何度も言っていて驚いた。火葬場でも宙を見上げて「じーじ、バイバイ」と言い出したのでびっくりした。まだ宇宙から来たばかりの葉君には死んだじいじが見えていたのかもしれない。葉君がニコニコして手を振っていたから、じいじもきっと笑っていたに違いない。死んだら急に無になるんじゃなくて、自分の大好きな場所、大好きな人に会いに行く時間くらいは神様はくれるんじゃないかと思った。

 

正直、今はお父さんがいなくなったという実感がない。突然死には驚いたけど、苦しむ姿を見ていないことが大きい。ひょっこり家に帰ってくる気がしてならない。

 

訃報を受けて電車に飛び乗り、震える手でスマホにメモした言葉。

 

"誰かが私にしてくれたこと

与えてくれたものというのは


一緒にいないときも

降り注がれる


眼差しのようなもの

かもしれない"


読み返しても意味が分からないけれど、この言葉の通りならば、お父さんが死んでもお父さんが私にしてくれていることは変わらない。

 

私は今死ぬのが怖くない。

後悔がないように生きることは可能だとお父さんが教えてくれたから。

 

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